父子3代のカーティスクリーク
釣りには
カーティス・クリークという洒落た言い回しがあります。
カーティスは男の子の名前で
カーティス少年がこっそりと釣りに行く川、
誰にも教えない大切にしたい秘密の場所という意味です。
自分にもそんな場所が故郷にあります。
釣りは鮒に始まり・・・の言葉にあるように、
茨城の片田舎で育った私の釣りの始まりはマブナでした。
家の周りには多くの蓮田がありそれらを繋ぐように水路が整備されています。
小学校にあがる前、自分は親父に連れられ近所の水路に通いました。
水路の一部が土管になっている場所で土管の下流側に網をもって立たされます。
すると親父が水路の向こうから凄い勢いで水面を棒で叩きながら走ってきて魚を土管に追い込みます。
すると大きなマブナが待ち構えていた自分の網に必ず数匹入ります。
このときの興奮は今でも覚えています。
獲ってきた鮒は食べる訳でもなく屋外の衣装ケース水槽に入れてずっと眺めていたのを覚えています。
そのうちほとんど猫にもってかれるんですが・・・w
小学校にあがるとやっと親父から釣り竿を与えられます。
一人前扱いしてもらえて嬉しかった記憶があります。
竹竿にシモリウキのしかけで餌はミミズ。
初めて釣ったのは春の”のっこみ”のシーズンだったそうです。
大物が釣れて一日中ご近所や家族に自慢していたようで・・・(w
この時のブルブル感、高揚感が自分の釣りの原体験になっているんだと思います。
小4くらいまでは親父につれられて色んなものを釣りました。
楽しかったのは雷魚のポカン釣り、カエルを捕まえて親父に渡すとそれで巨大雷魚を釣り上げてくれます。
初めてのプレデターとの出会い、ここからルアー釣りが始まります。
小学校も高学年になると鯉のぶっこみ釣りやルアー釣りなどに友達と行くようになり親父と一緒に行くことはなくなりました。
それから年月が過ぎ、自分も結婚し家族ができました。
その頃、自分と親父との関係はあまり良好ではなく実家に帰ってもお互いあまり話もしませんでした。
すると知らぬ間に親父が息子を連れだしてあの水路に行っていたようです。
足を悪くして杖をついてしか歩けないのにあの土管の前で孫に網を持たせて全く同じ事をやってきたらしい・・・
息子が興奮してビニール袋に入ったマブナを見せてくれたときは何故か目頭が熱くなりました。
それから数年後、親父は他界しました。
自分と父親の関係も修復しないままで逝かれてしまいました。
今でも実家に帰る度に息子や甥っ子を連れてその水路へ向かいます。
そして小学校に上がったころに息子に同じように竿を持たせます。
昔の自分のように大物を釣らせることもできました。
喜んでいる姿を見ると親父の目を通して自分を見ているような錯覚に陥ります。
親父も間違いなく楽しかったようです。
そして親父と同じように色々な釣りを教えています。
父子3代のカーティスクリーク。
雷魚のポカン釣りをやった池は埋め立てられてしまいましたが、
鮒釣りのホソはずっと無くならないで欲しいです。
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土管ポイント、一緒に行きたかった・・・
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